こんにちは~(。◕ ∀ ◕。)
遅まきながら…今週も、皆さま、どうぞよろしくお願い致します。
昨日は、主人がお休みで、図らずも先の週末は三連休のNaoさんでした。
日曜日は、お天気がイマイチではありましたが、久し振りに青山辺りから代官山までshopping~

雑貨屋さんを中心に楽しいひと時を堪能でした。

昨日は、朝から大掃除モードで

、お家の中の窓という窓を一気に大掃除しました。

先日の降雪以来、北風がピューピューと冷たくて…いよいよ冬本番。
網戸を洗って、サッシを拭いて、サッシレールもピカピカにして…結構ボリューミーなお仕事量ではありましたが、mission complete‼


少しずつ、今年の汚れも綺麗になって、新年へのcountdownが着々です。

さて。
本日は…久し振りにItalia物語。
ルネサンス美術の極致をご紹介です。

Vatican美術館の最後は、有名なシスティーナ礼拝堂へ導かれます。
ローマ法王の選出の為に各国の枢機卿が密室で集って、conclaveを行う礼拝堂です。
ラファエロの間から進み、数多くの彫刻や絵画などを鑑賞しながら、階段を進みますと、いよいよ到着です。
外界から遮断され、高い位置の窓から採り入れられた光が柔らかに堂内を包み込み…その正面と天井からはミケランジェロの情念が強い力を放っていました。
1994年、長期にわたる修復を終えて、ルネッサンス期の色彩をそのままに甦ったその美しさをご覧いただきましょう‼

礼拝堂は、シクストゥス4世の命により建造されました。
縦40.23m、横13.41m、そして高さ20.7m。

入り口から、いきなり祭壇には『最後の審判』が圧倒的な威光で迎えてくれます。
そして、人・ひと・ヒト…祭壇画、天井画だけでなく…それを鑑賞している観光客も、ひとつトコロに立ってグルグルと周囲に目を瞠り…その偉大さに動くコトさえ阻まれ、立ち尽くす…。


では、ちょっとだけ…先ずは、天井画のお話から。
1508年、33歳の彫刻家であったミケランジェロは、初めてフレスコ画に挑みます。
それがこの上にある天井画の『天地創造』です。

4年間に渡り、一人で上を向いて描き続けた為に…

背中は弓のように歪み、顔は絵筆からの滴りで汚れて、視力も弱まったそうです。
満身創痍のミケランジェロが困難と苦痛の中から生み出した緊迫感が漲った創世記の逸話が、天井いっぱいに広がり、人々を覆っています。
特にNaoさんの目👀を捉えて惹き付けたのは…やはり『アダムの創造』と『楽園の追放』でした。
宇宙の創造を描く9枚の中央の画は手前祭壇から後方へ『光と闇の分離』→『日と月の創造』→『海と陸の分離』→『アダムの創造』→『イヴの創造』→『楽園の追放』→『ノアの献身』→『ノアの洪水』→『ノアの泥酔』と綴られています。
聖書の中身をこうした天井画で描くコトにより、文字ではなくより具体的な姿で人々の中に視感に訴え、より印象深く刻み込ませたコトでしょう。
何よりもこの素晴らしさは、絵画世界が持つ二次元の限界の中で、彫刻家としての才能が遺憾なく発揮され、立体感や量感、躍動感などに見事に表現されているコトです。

当初、ユリウス2世のプランでは、キリストの12使徒天井に配するというモノであったそうですが、ミケランジェロはこの『天地創造』の一連、人類再生までの歴史を描くコトを考え、実行されたと言います。
では、最初に戻って…再びの祭壇画『最後の審判』に目を移していただきましょうね。

驚異の天井画から30年後…再び、人々に驚愕をもたらし迎えられたのは、逞しい肉体をもつイエス・キリストを中心に、400名近い人物が犇めく新約聖書の人類終末の物語…『最後の審判』でした。
ミケランジェロ60歳を過ぎてから取り掛かった傑作の大仕事は、縦14.5m×横13mの画面を450に分割し、一日一区画の仕事と決めて450日あまりで仕上げたそうです。
描かれた当時、キリストをはじめ、いくつかの裸体像が配されていたそうですが、スキャンダルの種となった為にピウス4世の命により腰布が加筆されたそうです。近年の修復により一部は取り除かれ、完成当時のままに見るコトが可能となりました。

天国へ昇る者、地獄へ堕ちる者が容赦なく分けられ、見えない大きな力によって翻弄され、渦巻く姿に息が止まりそうでした。

絶望する罪人、もがき苦しむ表情の人々…隆々とした肉体が躍動し、欲と業が赤裸々に描き出されています。
カール5世によるローマの略奪…教皇国であるローマでの殺戮、破壊、強奪、強姦などの非道が行われ、スイス傭兵が最後まで教皇を守り抜き殉死者が出たという…これが現在スイス衛兵がVatican市国に配されている契機となったそうです。

このローマ略奪により、当時宗教改革の嵐が吹き荒れ、腐敗堕落した教会の権威への怒りを込めたmessageとして、ミケランジェロは『最後の審判』を描いたとされています。
怒れるキリストの姿は、逞しい肉体を宿し、神の恩恵に値しない現実世界に対しての批判や苦悩を意図して込めているそうです。
ねじれた人体、強烈な明暗…中央には聖母マリアと聖人を従えたキリストが審判を下し、右側には選ばれた人が天へと上り、左側は罪深い人が地獄へと堕ちていく…。
キリストの足元にはバルトロマイ…この聖人は皮を剝がされて殉教したとされていますが、この人物が剥がれた自分の皮とナイフを持って描かれ、その皮にはミケランジェロの自画像が写し出されていると言います。
その衝撃は、凍り付きそうな恐ろしさを与えていました。

Vatican美術館は、Italia語で美術館の複数形を示すMuseiで表記されるそうです。
ギリシャ・エジプトの古代美術、ルネサンス、ゴッホやルオーなどの現代宗教美術、文化人類学的な展示など、20を超す美術館で形成されており、毎年新しい展示が開設されるなど、生きている美術館であるからこその称号なのだとか。
Naoさんは、このVatican美術館を旅の計画当初3日間通うコトに決めておりましたが、何とか2日間じっくりと向き合うコトで堪能…

素晴らしい時間と空間を共有させていただきました。
同じ時代に、ユリウス2世とミケランジェロという二人の人物が出逢ったというのも、こうした奇跡の誕生に大きく貢献したコトと思います。
ユリウス2世が即位後まもなく、ミケランジェロを呼んで自らの墓の制作を依頼。
それに大いに乗り気になったミケランジェロは、自ら石切り場に出向きその準備に余念がなかったそうです。
しかし、一方でユリウス2世は、サンピエトロ大聖堂の再建に没頭し、墓への興味を失って、墓石の大理石代を支払おうとしなかったとか…。
それに怒ったミケランジェロは、故郷のトスカーナへ引き上げてしまい、二人の不仲は始まったと言います。
ですが、このシスティーナ礼拝堂をフレスコ画で飾ろうと考えた法王が、ミケランジェロに再度仕事を依頼し、ミケランジェロも拒み続けたそうです。
一連の確執の中でもこうした驚異の美術が生まれたのですから、なんとも因縁のある2人物…ユリウス2世の強引さと意思の強さ、天才ミケランジェロが不承不承でも引き受けた仕事…芸術とは、本当に爆発のような輝きを齎すのですね…。

祈りの場ではありますが…こうした一連の芸術の圧倒を一身に受け止めると、もう、畏れと共にただひたすら、頭を垂れ、ひれ伏し、今この時に感謝しかありませんね…。
堂内には、後方両側に長椅子が配され、運良くお席が空いたので、小一時間、イヤ…もうちょっとかなァ~

時間を忘れて、500年前に一気に引っ張られ、思いを巡らせ、その驚異に満ちた空間に身を委ねました。